イタリア南部アルベロベッロには、トゥルッリとよばれる家が1600軒余り残っています。
トゥルッリとは円錐状の屋根をもつ家のことで、ひとつの部屋にひとつの屋根がつき、いくつかの部屋が集まって一軒の家になります。
この一部屋分をトゥルッロといい、トゥルッリはその複数形です。
石を積み石灰を塗った壁にとんがり屋根をのせ、モルタルなどは使わず、冬暖かく夏涼しい快適な家です。
トゥルッリは16世紀半ばから約100年間、開拓農民用住居としてつくられまし。
起源は、家屋に課せられる税を免れるため、屋根を壊して、これは家ではない、と言い逃れる必要があったからだといいます。
もっぱらイタリアに住んでドイツの統治をおろそかにし、のちのドイツ分裂の原因をつくったとされる神聖ローマ帝国皇帝フリードリヒ2世は、13世紀半ば、イスラム勢力の攻撃に備えて、南イタリアに200余りの城塞を築きました。
そのなかで特にユニークなのが、1240年頃にバーリ近くの丘に皇帝の狩猟時の住居として建てられたデル・モンテ城です。
八角形の中庭を、城の本体である八角形の周壁が取り囲み、周壁の角には八角形の塔が8つ付設されています。
この形状は、数学的、占星術的に正確とされ、シンボリックな意味合いをもつといいます。
典様式で、城塞には珍しく濠や馬小屋が付設されていません。
内部はゴシック様式だが、浴槽の設備など、一部にはイスラム文化の影響もうかがわれるといいます。
南イタリア・マテーラの鹿ゑグラヴィナ渓谷西斜面には、岩を横に掘って住まいとした洞窟住居「サッシ」が幾重にも層をなして積み重なっています。
住居が密集したところでは、下の家の屋根が上の家の前の通路となっています。
洞窟住居は新石器時代に始まるといわれ、8~13世紀に東方から来たキリスト教の修道士が住みつきました。
彼らは洞窟に手を加え、130余りの洞窟聖堂を築き、壁面をフレスコ画で飾りました。
その後、洞窟住居のスラム化がすすみ、20世紀には衛生面から洞窟での居住が禁止されたが、近年その価値が見直され、一部は修復され、市民の住居やホテルとして利用されています。
美しい渓谷から入り組んだ海岸線まで楽しめるチレント・ディアノ渓谷国立公園には、ふたつの古代遺跡と中世の修道院があります。
この21万㎡という広大な公園は、ナポリの南東約18世紀に迫踏開設工事を行つた際、偶然発見されたパエストゥムの古代遺跡。
120kmの場所にあります。
パエストゥムは紀元前7世紀に建設されたギリシアの植民都市で、ポセイドン神殿をはじめ3つのドーリス式神殿、フォルム、城壁、4つの城門、円形劇場、公共浴場などの遺構がよく残っています。
もうひとつの遺跡、港町ヴェリアの古代遺跡は紀元前6世紀のもので、現在もなお発掘が続けられています。
パドゥーラにあるカルトジオ修道会のサン・ロレンツォ修道院は、宿舎や図書館などを含む壮大な複合建造物です。
14~18世紀までと長期にわたって建造され、主にバロック様式の特徴をみせています。
1140年にノルマン人に征服され、12世紀以降ナポリの町は・ホーエンシュタウフェン家、アンジュー家、アラゴン家・ハプスブルク家、ブルボン家など他国の7つの王家に統治されました。
19世紀初めにナポレオン時代が終わると、ブルボン家が復位しましたが、1861年、統一されたイタリア王国に編入されました。
歴史の波に翻葬され続けた町だが支配者が代わるたびに城や宮殿が築かれたので、今ではそれらが重要な観光資源となっています。
旧市街を南北に二分するサン・ビァジョ・デイ・リプライ通りがある一帯は、ギリシア植民都市の昔から庶民の住む街区で、今も狭い通りを歩くと、頭上を洗濯物が万国旗のようにはためき、下町情緒が感じられます。
通り沿いにはゴシック様式のサンタ・キアラ聖堂(20世紀に再建)があります。