南イタリア・マテーラの鹿ゑグラヴィナ渓谷西斜面には、岩を横に掘って住まいとした洞窟住居「サッシ」が幾重にも層をなして積み重なっています。
住居が密集したところでは、下の家の屋根が上の家の前の通路となっています。
洞窟住居は新石器時代に始まるといわれ、8~13世紀に東方から来たキリスト教の修道士が住みつきました。
彼らは洞窟に手を加え、130余りの洞窟聖堂を築き、壁面をフレスコ画で飾りました。
その後、洞窟住居のスラム化がすすみ、20世紀には衛生面から洞窟での居住が禁止されたが、近年その価値が見直され、一部は修復され、市民の住居やホテルとして利用されています。
美しい渓谷から入り組んだ海岸線まで楽しめるチレント・ディアノ渓谷国立公園には、ふたつの古代遺跡と中世の修道院があります。
この21万㎡という広大な公園は、ナポリの南東約18世紀に迫踏開設工事を行つた際、偶然発見されたパエストゥムの古代遺跡。
120kmの場所にあります。
パエストゥムは紀元前7世紀に建設されたギリシアの植民都市で、ポセイドン神殿をはじめ3つのドーリス式神殿、フォルム、城壁、4つの城門、円形劇場、公共浴場などの遺構がよく残っています。
もうひとつの遺跡、港町ヴェリアの古代遺跡は紀元前6世紀のもので、現在もなお発掘が続けられています。
パドゥーラにあるカルトジオ修道会のサン・ロレンツォ修道院は、宿舎や図書館などを含む壮大な複合建造物です。
14~18世紀までと長期にわたって建造され、主にバロック様式の特徴をみせています。
1140年にノルマン人に征服され、12世紀以降ナポリの町は・ホーエンシュタウフェン家、アンジュー家、アラゴン家・ハプスブルク家、ブルボン家など他国の7つの王家に統治されました。
19世紀初めにナポレオン時代が終わると、ブルボン家が復位しましたが、1861年、統一されたイタリア王国に編入されました。
歴史の波に翻葬され続けた町だが支配者が代わるたびに城や宮殿が築かれたので、今ではそれらが重要な観光資源となっています。
旧市街を南北に二分するサン・ビァジョ・デイ・リプライ通りがある一帯は、ギリシア植民都市の昔から庶民の住む街区で、今も狭い通りを歩くと、頭上を洗濯物が万国旗のようにはためき、下町情緒が感じられます。
通り沿いにはゴシック様式のサンタ・キアラ聖堂(20世紀に再建)があります。
ヴォメロの丘からナポリ湾を見下ゑ』め播くにヴェスヴィ山を眺めるとき、ナポリはまさに風光明媚な観光都市であだが歴史をさかのぼれば、気候温暖で良港に恵まれたこ町は、常に外国勢力の侵略の的となってきました。
ナポリの起ま紀元前5世紀前半につくられたギリシアの植民都市です。
最初に建設されたパルテノペの町から少し離れた場所に新しく建設されたということでネアポリス(「新しい都市」の意)とよばれ、これが地名の由来となりました。
海上貿易で栄えましたが、紀元前4世紀にはローマ帝国に支配され・西ローマ帝国滅亡後はビザンティン帝国の支配を受けました。
「明治文学と文学者」の展示室②は暖炉も残っていて、「前田家の食堂」だったところです。次の小さな展示室③は配膳室だったところで「古典文学と鎌倉」コーナーです。四番目の大きな部屋は「大正、昭和文学と文学者」の展示コーナーです。前田家の第三客室だったところでした。
一階の特別展示室の前には、本を閲覧できる部屋が二つあります。閉架式で、鎌倉ゆかりの作家の本が約一万冊、その他の文学作品が約二万冊ある。椅子もテーブル(九人分)もなかなかいいので、ゆっくり本を読むことができます。疲れたら芝生の広場に出て、海を眺めると更にリラックスできます。